フィリピン文化のキー概念: Hiya

フィリピン文化のキー概念: Hiya

今日はフィリピン英語留学とは直接関係ないですが、フィリピン文化を理解する上で必要な概念について話したいと思います。

私は2005年から1年間バギオ滞在を含め、今まで複数の都市で合計5年以上フィリピンで生活しており、今もフィリピンで滞在しています。

また仕事でセブを含め、バコロド、イロイロ、ダバオ、マニラ、スービック、バギオなどなど多くの都市の学校を訪問してきました。

現地生活とたくさんの出張の中で多くの場面でフィリピンらしさを感じましたし、その文化を理解しようと努力してきました。一般的にフィリピン人を説明する際に「4F」が大事だといわれています。

Family(家族)、Face(面子)、Fiesta(祭り)、Faith(宗教)がそれですが、今日はその中で2番目のF、つまりFace(タガログで「ヒヤ」)という概念について話したいと思います。

 

フィリピンの社会生活において最も優先的に考慮されるのはヒヤ(Hiya:恥、面子)であります。

ヒヤはフィリピン社会において空気のように存在しており、個人と集団の行為を制御し、動機を付与するものでもあります。

ヒヤというのは社会的基準に従って行動しなかった時に深刻な感性的障害を誘発する慣習的規約です。文化人類学者のフランク・リンチはヒヤを「社会的に認められない位置にあったり、黙過できない行動を行った時に感じる居心地の悪い感情」と定義しています。

フィリピノ職員は与えられた任務が確実に理解できなかったり、疑問があってもとくに意義を唱えたり聞きなおしたりしない場合が多いですが、ヒヤが原因なのです。

ヒヤを意識したパーティの主催者が過度な支出を甘受したり、解雇された労働者もヒヤを意識して普段の穏やかな性格では考えられない過激な反応を見せたりします。また、あるフィリピノの同僚は貴方の意見に内心反対でもそれを相手に言いません。ヒヤを意識しているからであります。

 

このようにヒヤを一言で定義することは難しいです。

フィリピン文化のキー概念: Hiyaしかし、フィリピンではヒヤは確実に存在していますし、ヒヤを感じない人は人間として最悪な存在として扱われます。「ワラング・ヒヤ」(Walang-hiya:ヒヤを知らない)が最も酷い悪口です。もちろん、日本でも「恥を知れ」という表現がありますが、その言葉が持つ重さはフィリピンのそれとは比べにならないほどです。

 
 

ヒヤは社会的制御装置の役割も担います。

個人的、あるいは集団的行動はヒヤで規制したり、承認したりします。自尊心や自負心もヒヤと関わります。人前で冷やかされた時や怒られたとき、あるいは与えられた仕事がクリアーできなかったとき当事者はヒヤを感じます。

またヒヤがないと判断された人は特定のグループ、場合によっては共同体全体から疎外されます。家族や親戚から疎外されたフィリピノは社会的に追放されたと見なしても過言ではありません。

個人的能力や利害得失による人間関係に慣れた日本、あるいは外国人の基準では可笑しいかもしれません。なぜなら、彼らにとって社会的行動は社会的規制よりは自らの基準に従っており、その結果に対しても個人的に責任を取るだけで他の人が関わろうとしないからであります。

フィリピン人口の6割以上が暮らすバランガイ(Bgyという略字で書くことも多い。フィリピン伝統の部族単位であり、地方自治体より影響力が強い。)では殺人のような重大な犯罪が起きない限り、警察がやることはあまりありません。警察が全くないところも多いです。

犯罪行為を含む全ての問題になる行為は共同体の中で処理されており、その基準となるのはヒヤであります。

フィリピン留学って、本当に英語力が伸びて、お得なのか…?

指名手配者ではありません。バランガイの選挙ポスターです。
(バランガイ選挙日の前日と当日はお酒は販売禁止になります。)

Hiyaに関する書き込みを以下のサイトで発見しました。参考になるかと思い、ここに引用します。
出所:http://orientalheart.com/

 

Face (顔・面子)

フィリピン人のHiyaは面子の概念です。他のアジア諸国とも似ているのですが、フィリピン人にとって面子を保つことは非常に重要なことです。

恥(ヒヤ "hiya")を避けるためにどんなことでもしますし、同様に他人の面子も保とうとします。この概念はフィリピン人の極めて婉曲的な会話に現れます。欧米人に最も誤解を与えているのが、フィリピン人の「イエス」です。例えばフィリピン人を何かのイベントに誘う時、フィリピン人は行く意志がないのに「イエス」と気軽に返事をします。

誘ってくれた人の面子を保つためにです。その「イエス」とは、「行けるように努力するけど、行けるかどうかはわからない」またはシチュエーションによっては「その話に結論を出すのはしたくない。

例え答えがノーであっても」を意味するものなのです。職場や社交の場において、フィリピン人は反対意見を直接述べようとしません。「~ではないのでしょうか」と質問形にして間接的に表現したり、または単純に沈黙という形をとります。

フィリピン系アメリカ人と元祖フィリピン人との違いはここに大きく現れます。前者はアメリカナイズされているので、反対意見であろうと自分の意見を唱えることを恐れていません。

面子は経済状況に関わらず、フィリピン人を自分を良く見せるための顕示行動に駆り立てます。時には借金をしてまで、盛大なるパーティを開いて自分を良く見せようとします。フィリピン人は見栄っ張りで表面的にアピールしたいのです。自分の経済キャパシティを上回るビッグショーを展開しようとします。これは「パキタン・タオ "Pakitang tao"」メンタリティと言います。

フィリピン人は「アジアでもっともファッションコンシャスで、西洋の最新ファッションを熱心に取り入れようとる」と言われています。これを巷のスラングで"paporma" (上辺だけを着飾っている)といいます。

英語ですが、こちらも一読です。 http://liveinthephilippines.com/content/how-shameful/

フィリピン人と付き合う際には彼らの面子(ヒヤ)を配慮するようにすればよりスムーズに物事が進むと思います。

 




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